幼稚園を退園した理由|繊細な娘にとって負担だったコロナ禍の園生活

子どもの気質

幼稚園に通い始めた頃、娘はとても不安の強い子でした。駐車場に着くと「帰る」と言ったり、先生への引き渡しのときに大泣きしてしまうこともありました。それでも先生方は、娘のペースを尊重しながら丁寧に関わってくださいました。

少しずつ園生活に慣れていけたらいいなと、親としても試行錯誤していた時期でした。

この記事でわかること

・繊細な子どもが園生活で感じやすい負担の具体例
・コロナ禍の環境が子どもに与えた影響
・「頑張れているように見える子」が抱えている負担
・退園という選択に至るまでの親の葛藤
・環境を変えることの意味と、その後につながる視点

コロナ禍で変わった園生活

娘が入園した頃は、すでにコロナ禍の感染対策が行われていました。マスクの着用、アルコール消毒、手洗いの頻度の増加といった対応が日常になっていました。感染状況によっては、歌をうたうときもマスクを着けたままということもありました。

大人でも少し息苦しく感じそうな状況で、「子どもたちは大丈夫なのかな」と感じたこともありました。

マスクが負担になっていた娘

娘はもともと感覚が敏感なところがありました。マスクをつけると「苦しい」「邪魔」と言うことが増えていきました。さらに「顔がわからないのが嫌」とも言っていました。マスクをしていると、相手が笑っているのかどうかが分かりづらく感じるようだったのです。「笑っているのに笑顔に見えない」そんなことを言うこともありました。

後から調べてみると、マスクは口元の表情が隠れてしまうため、感情を読み取ることが難しくなることが研究でも指摘されています。(Freud et al., 2020 / Carbon, 2020)

ただでさえ園に着くと泣いてしまう娘に、さらにマスクをつけて過ごすことを求めるのはとても大変なことのように感じたのです。泣くと涙や鼻水でマスクが濡れてしまい、息苦しそうにしてさらにつけるのを嫌がりました。夏が近づくにつれて「マスク暑い」と言うことも増え、娘にとってかなり大きな負担だったようでした。

アルコール消毒と手の痛み

もう一つ、娘にとって負担になっていたのがアルコール消毒でした。娘はもともと肌が弱く、アルコールで手が荒れやすいタイプでした。消毒を繰り返すうちに「手が痛い」と言うことが増えていきました。

帰り道に手をつなぐと、娘の手がカサカサであかぎれの様になり、痛々しいことがありました。私自身もアルコールアレルギーがあり、量を調整したり申告したりして対応しています。でも子どもが園で同じようにできるわけではありません。そう思うと、胸が痛くなりました。

一つ一つは小さなことに見えても、毎日繰り返されることで、娘にとっては大きな負担として積み重なっていったのだと思います。

同じ頃、兄の不登校も始まった

さらに同じ頃、娘の兄も学校へ行くことが難しい時期に入っていました。兄も感覚過敏があり、常時マスクをすること、頻繁なアルコール消毒が強い負担になっていたようでした。娘と同じように、コロナ禍の感染対策そのものが、特性のある子どもにとって大きな壁になっていたのかもしれません。

家庭の中でも大きな変化が起きていました。そんな状況の中で、娘の園生活についても改めて考えるようになりました。娘にとって今の園生活は、無理をしている状態なのではないか。そう感じることが増えていったのです。

悩んだ末に決めたこと

娘の様子を見ながら、このまま園に通い続けることが本当に娘にとってよいことなのか、何度も考えました。園はとてもあたたかい場所でした。先生方も娘のペースを尊重しながら丁寧に関わってくださいました。だからこそ、簡単に決められることではありませんでした。

ただ、私の中には一つの思いがありました。無理に通わせることで「幼稚園はつらい場所」という記憶になってしまうのは避けたい。それなら一度離れることで、また別の形で関われる余地を残したい。私自身も卒園した園だったので、「幼稚園は楽しかった場所」そんな思い出として残ってほしいと願っていました。

悩んだ末、娘は一度園を離れることになりました。

退園のときの先生の言葉

退園の手続きをしたとき、先生方はこんな言葉をかけてくださいました。

「もしお力になれることがありましたら、また声をかけてくださいね。」

その言葉はとてもあたたかく、今でも心に残っています。園との関係が、そこで終わってしまったわけではない。そう感じられたことは、親として大きな支えでした。

そして数年後

それからしばらくして、思いがけない出来事がありました。兄は社会科見学をきっかけに長く続いていた不登校を終え、再び学校へ通うようになりました。その姿を見ていた娘の気持ちにも、少しずつ変化が生まれていきました。

まとめ

コロナ禍の園生活の中で、娘にとってはひとつひとつの環境が小さな負担として積み重なっていました。マスクの息苦しさ、表情が見えない不安、アルコール消毒による手の痛み。大人にとっては日常になっていたことも、娘にとっては強い刺激として感じられていたのかもしれません。

さらに同じ時期に兄の不登校も重なり、家庭の中でも大きな変化が起きていました。そうした状況の中で出した結論が、一度園を離れるという選択でした。

続けることだけが正解ではなく、その子にとって無理のない形を選ぶことも、大切なひとつの選択です。あのとき離れたからこそ、また別の形でつながる余白が生まれたのだと、今は感じています。

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